年間第18主日

ルカ12・13-21

 

 イエス様の時代に、社会的な問題を解決する力を持っていたのはローマの裁判官でした。そして、宗教的な問題は宗教の支配者たちが解決しました。しかし、時間が経つにつれて、徐々に支配者たちの役割が広がってきたのです。宗教的な問題だけではなく、生活的な問題を解決するようになりました。今回の箇所に書いてある分け前の問題は一つの実例です。

 イエス様は素晴らしく教えたために、その色々な問題を解決する力を持っていると人々に思われていました。ですから、今回の箇所に書いてある通り、相談するためにイエス様のもとへ来られた人が居るのです。しかし、イエス様はその人の願いを断りました。何故ならイエス様ご自身は宗教の支配者ではないことをよく知っているからです。勝手に解決するなら、大きな問題になったかもしれません。

 

 今回の福音には大切なポイントが二つあります。

 一つ目は、貪欲に注意する事なのです。私たちが知っている通り、現代社会の中で、お金は本当に大切な物でしょう。お金があるなら何でもできる。逆に、お金が無ければ何もできないからです。ですが、実はお金のための問題も沢山あったでしょう。家族の関係が壊れてしまったとか、人間関係が崩れてしまったとか。原因は、多くの人はお金を生活のただの目的にしてしまったからです。お金を貯めるために、悪いことをしてしまいました。多くの国々では一番の問題は汚職です。一番酷いのは、お金のために他の人を犠牲にしたという事なのです。人身売買は未だ全世界の問題なのです。

 二つ目は、富に対する執着です。エジプトでの追放の時、イスラエル人は本当に苦しみました。その苦しみの中で彼らは信仰を強く守り、神様の救いを深く願いました。そして、彼らの信仰によって神様がイスラエル人を解放し、約束の地まで導きました。しかし、到着してから彼らの信仰は変わってしまいました。何故なら、約束の地は豊かな地であり、富に満ちている所であったからです。富に対する執着が強くなり、コントロールすることが出来ないためにイスラエル人は段々神様の掟を忘れてしまいました。

 現在にも富に対する執着は大きなチャレンジであると思います。イスラエル人と同様に、お金や富などを優先して、信仰を諦めた人が少なくありません。確かに富だけではなく、全てが便利になったことも信仰の試みであるでしょう。大昔の人々は苦しみの中で生きていたので、よく神様の助けに頼りました。しかし、今は違います。全ては便利になったために、神様に助けを求めない。自分の力だけで生きることが出来ると多くの人が思い込んでしまいました。

 しかし、今回の福音に言われた通り、注意してください。私たちは世の中で永遠に生きることが出来ないからです。誰でもいつかは死ぬはずです。そのために、生きている間にお金と富だけではなく、人間関係と信仰をも大切にしなくてはなりません。

隣人との繋がりと神様との繋がりをも大切にしなければなりません。死ぬ時、お金と富は全て世の中に残されるはずです。逆に永遠の命を得るために世俗的なものではなく、良い行いと信仰が必要です。

 そして、お金や富などという世俗的なものは限りあるのです。沢山のお金を持っていても、大変な病気に罹ってしまった人も多く居るでしょう。沢山のお金を持っていても、急に事故で亡くなってしまった人もいるでしょう。ですから、世の中で自分の力を超えることが多くあるために、私たちは神様の守りを頼む必要があるのです。

 先日、ある研修で一人の人がお金と富について話しました。「根本的にお金と富は人々を悲しませるのではなく、むしろ人々を喜ばせるはずだ」とはっきり言われました。そうしないと恵みとしてお金と富などの意味が無くなってしまうはずです。

  

 お金や富などを大切にすることが出来ますように。貪欲にならず、お金や富を正しい方法で使うことが出来ますように。神様の導きを共に願いましょう。アーメン!