年間第17主日

祈りについて

 

 祈りには二つの目的があります。

 一つ目は、御父に向かって賛美・感謝・礼拝すること。

 二つ目は、私たちに必要な事を願う事。

 

 私たちはまず、第一にミサに与る事、教会の祈りをすることを大切にします。それは、何よりも神様の栄光を表すことになります。そして景色を見て、自然の美しさを感じる事。毎日の出来事を通して、平穏に過ごせたことなどを賛美し、感謝します。

 次に、神様は私たちの全てをご存知です。ですから、日常の糧、ならびに必要な恵みを願います。イエス様は宣教なさった時、人々が困っていたこと(病を癒し、悪霊を追い出すことなど)を助けて下さいました。御父はイエス様を通して私たちに恵みを与える方だからです。今必要な恵みのみならず、永遠の命をも与えて下さる方だからです。

 ですから、私たちは神様の慈しみに信頼して、必要な事を願いましょう。そのようにするなら、私たちは悪に打ち勝ち、又神様の御旨にそって、生きることが出来るようになります。

 イエス様が弟子たちに次のように教えています。「私を離れては、あなた方は何もできないからである」(ヨハネ15-5b)つまり、私たちの力だけでは何一つ出来ないのです。また、イエス様は次のように述べられています。「私について来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、私に従いなさい」(マタイ16-24)つまり、私たちの日常生活の苦難を受け入れ、それを乗り越えることです。その時、私たちは神様の助けを願い求めます。神様が私たちの苦しみを贖って下さいますように。

 イエス様は人類に罪を背負うために十字架上で私たちの罪を背負って下さいました。御父に向かって「父よ 御心なら、この杯を私から取り除いてください。しかし、私の願いではなく、御心のままに行って下さい」(ルカ22-42)と祈られました。この祈りは祈りの模範者として、ご自分の意志によるものではなく、御父の御旨に従ってなされました。

 このように、祈りの時に大切なことは御父の御旨に沿って祈ることです。祈りは神様との対話です。素直な子供が父親が何でも喜んで話すように、私達も天の父なる神様に、何でも話しましょう。「主よ、あなたは全てを知っておられる」(詩編139-4b)「あなた方の父は、願う前から、あなた方に必要なものをご存知なのだ」(マタイ(6-8b)ですから、自分をとりつくろったり、「こんなことを神様に祈ってはいけないのではないか」と心配したりせず、自分のありのままの思いを神様の御前に申し上げるのが良いのです。小さなこと、一見つまらないようなことでも、何でも具体的に神様のお話しすることです。私たちがイエス様の弟子であることを示す、あの「主の祈り」を心を込めて今日も祈りましょ。

 私たちの全ての祈りが神様の栄光を表すことが出来ますように。アーメン!