四旬節第5主日

福音朗読箇所 ヨハネ8・1-11

[説教]

 

ユダヤ人たちが考える旧約聖書に描く罪というのはどう言う事なのかと言うことをもう一度考えてみたいと思います。

 罪と言うのは「ハマルティア」、的外れという言葉で書かれています。つまり、的から外れている、ある規範から外れている事と罪と呼んでいます。彼らユダヤ人にとって大事なのは律法なので、その律法から外れている人達を罪人と呼んでいました。ある規範から外れる、律法から外れているのは罪なのだという事で、今回の姦通の女性も律法から外れたことをしてしまった事で罪人なのだと言われています。

 けれども、前回の福音で放蕩息子の話が読まれましたが、そこでもイエスがいう罪と言うのは、単に規範から外れていると言う事だけではなく、関係性を考えるようにと言われています。父親から離れて行ってしまった、その関係性を切ろうをしてしまった事に罪があるということです。神から外れようとする、神との関係をどう考えているのかという事がイエスが伝えたかった罪というもので、決して律法をないがしろにしている訳ではありませんが、そこだけではなく神との関係性をどう考えているのかという事をイエスは大切にしています。

 今回の福音でも、確かにこの律法をないがしろにした女性に対して石殺しをするという事をいわれていますが、イエスはそれだけを見るのではなく、関係性のことを今回も伝えようとしています。「あなた方の中で罪を犯したことのない人からまず石を投げなさい」と。つまり、律法という規範から外れていないあなた方かもしれないけれど、神との関係の中でどのように生きてきたのか、ということをイエスは問いかけています。すると、胸を張って、自分は罪を犯した事がないという人はいないので、一人一人その場を去って行き、唯一そこに残ったのは罪を犯した事がないイエスだけでした。しかし、イエスもその女性に対して「私はあなたを罪に定めない。もう罪を犯さないように」と言ってその女性を帰しました。この女性もこれから先、罪を犯さないというのは難しいでしょう。けれども、イエスがあなたを罪に定めないと言って帰しています。この女性もこれから神との関係性をどのように考えて行くのか、今回赦されてラッキーだったと思って帰るのか、それとも神様から自分は赦されたという大きな感謝の中で生きていくのか、この関係性をどの様にもっていくのかによって本当の罪の赦しというものが与えられるのではないでしょうか。

 私たちの中でも、そこまで酷いことをしていないとか、私はしっかり生きているという様に思っている人が殆どかもしれません。しかし、神との関係性の中で私たちは本当にしっかりと繋がってこの生き方を毎日生きているのかを考えて生きたいと思います。

 復活祭まであと2週間となりました。是非とも、この最後の時を神との関係性をしっかり考えながら、新しく復活祭を迎えた後、自分たちがどの様な喜びを持って生きていけるのかという事を考えて行きたいと思います。新しい命をいただくという事、世界中では新しい洗礼者を迎えています。その方々と共に神との関係性をもう一度考えながら新しい命を生きて行きたいと思います。