年間第7主日

福音朗読箇所 ルカ6・27−38

[説教]

 

 1981年5月13日、聖ペトロ広場でミサを始める前に、教皇ヨハネパウロ2世がいつものように歩きながら人々に挨拶をしていました。その時、突然群衆の中から一人の男性が出てきて教皇様を撃ちました。教皇様は酷い怪我を負い、その場に倒れました。しかし、神様の助けによって長い期間にわたる入院から回復されました。多くの人はその男性の行いを呪いましたが、2年後教皇様は懲役29年の判決を受けた男性を訪ねて彼を許しました。本当に信じ難い話ですが、教皇様のお陰で彼は深く悔い改めて、刑務所から出た後、生き方を変え、今では愛に満ちている生活をしています。

 今回の福音は愛の掟についての話です。マタイの福音書にも同じことが書かれている箇所がありますが、説明の仕方が違います。愛の掟を強調するために、マタイは敵に対する律法の古い見方の間違いを表しました。その律法の内容は「目には目を、歯には歯を」。つまり、敵に対して復讐する意味合いが強かったのです。イエスの時代の人々はその律法をそのまま守っていました。いかなる理由でも敵を許しませんでした。しかし、その古い見方と違い、イエスは新しい見方を人々に教えました。復讐より敵を愛するようにと教えられたのです。

 マタイと少し違い、ルカは愛に対する律法の古い見方を見直すだけではなく、愛の実現をも示しました。愛の実現は敵を愛すること。敵を許すこと。父のように憐れみ深い者になること。人を裁かないこと。助けを求める者に手を差し伸べること。しかし、一番大切なのは「人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい。自分を愛してくれる人を愛したところで、あなた方にどんな恵みがあろうか。また、自分に良くしてくれる人に良いことをしたところであなた方にどんな恵みがあろうか。罪人も、同じことをしている」と言うことです。この言葉には大変深い意味があると思います。何故なら、人間的な傾向は、よく知っている人々だけと繋がる、同じ背景や同じ出身、同じ国の人々とだけ繋がる傾向にあるからです。それはそれで良いのかも知れませんが、イエスの望みは、背景の違い、文化の違いを乗り越えて誰にも愛を表すように、と言うことなのです。本来の愛は条件がないからです。条件がある愛は本当の愛ではありません。確かに言葉だけではなく、イエスはその広い範囲の愛をよく実行したのです。私たちが知っている通り、イエスの本来の使命はユダヤ人のためでしたが、四つの福音書の中で、異邦人の癒し、異邦人との出会いの話が多く書かれています。

 皆さん、そのイエスの教えを実現するのは簡単ではないでしょう。何故なら、現実として、知らない人々だけではなく、よく知っている人々と良い関係を作るのも簡単ではないからです。家族の中、教会の中など人間関係の問題はよくあるでしょう。よく知っている人々を愛しにくいなら、ましてや知らない人を愛するのは難しいでしょう。あるいは逆に知らない人々に優しくしますが、よく知っている人々に気を配らない人もいるかも知れません。自分の家族の中で愛を感じることが出来ないのに家族以外のところで愛を感じることが出来る人もいるでしょう。本当に残念ですがそのような現実は必ずあるのです。

 ですから、私たち一人一人の生き方を反省しましょう。今までどれくらい愛の掟を実現しましたか。あまり実現することが出来なかったのなら、心配せずに、神様の助けによって良い生き方を始めましょう。そして神様の導きを共に願いましょう。