年間第6主日

福音朗読箇所 ルカ6・17,20-26

[説教]

 

 1950年に韓国は韓国戦争という悲劇を味わいました。その結果、韓国と北朝鮮という二つの国になって今までほぼ70年間割れて生きて来ました。その間、色んな事件がありましたが、今日皆さんに申し上げたいのは北朝鮮から韓国に脱出した人々についてのことです。

 韓国の政府から発表された資料によると、今まで北朝鮮から脱出して韓国に入国した住民の数が35000人を越えたそうです。2500万の中で35000なら「ちょっと少なくない?」と思われるかもしれませんが、彼らは自分の命をかけて残っている家族を捨てて来た者です。なので決して少なくない人数です。

 彼らは韓国に来てまず北朝鮮では味わえなかった自由に感動するそうです。そしてご飯をいっぱい、食べたいものを思いっきり食べられるから韓国に来て良かったと言います。しかし彼らが声を合わせて話すのは、北朝鮮に残して来た家族に対する罪悪感です。彼らの脱出によって家族が受けるようになる迫害が彼らを苦しませるそうです。そうするとどうして家族全員が一緒に来なかったの?と聞いてみると、そうするためにはお金も足りない上に脱出が失敗する危険性が高まると言います。この事実をみんなが分かっているから条件が合うと一人でも去るように力を合わせるこの現実が今の北朝鮮の現実だと聞きました。

 しかし、韓国に脱出した人の中では最初から家族のいない人々もいます。彼らは韓国で家庭を持って新たな人生を始めます。北朝鮮では家族がいなくて話せないほどの苦労をしたけど新しい所で新しい家族と会えるから毎日が幸せの連続だと話します。

 私たちの常識ではそれが何でも、ある方が無いより良いと思います。家族も居る方が居ない方より良いのです。しかしこの現実が他の次元を向いて超えて行った時には全ての状態が逆転することを福音は伝えてくれます。福音によれば私たちが全然分からなかった所では今の苦しみが喜びに変わるそうです。そして今私たちが耐えながら生きていく理由になることがむしろ障害物になる場合もあるそうです。今の私たちは持てないもののため苦しんでいるかもしれません。お金、職場、俳優者、広い家、健康など。しかしそれによる苦しみがきっと逆になるはずだとおっしゃったイエス様の言葉に私たちの希望をおいてみたらどうでしょうか。そうすれば持っている事より持っていない事の方が多くて、喜びより苦しみが多い私たちの人生がまた他の希望になれるかも知れません。