年間第33主日

聖書朗読箇所 マルコ13・24-32

[説教]

 

 皆さんもご存知のように私は今日本語の学校に通っています。今年の春頃に岡山の外語学校で2年目の日本語の勉強を始めた時、誰よりも頑張りました。中級のクラスだった私はテストでいつも100点を取るために毎日毎日努力して、学校の先生たちはそんな私を見て日本語の天才が現れたとおっしゃりました。そういう私の可能性を見た先生たちは夏が過ぎて再び始まった後学期には私を一番上の上級のクラスに行かせてくださいました。一緒に勉強した学生の中で私だけ上級組に行かせられたので、自慢な心を持って新しい学期を始めました。

 しかし、問題はその頃から始まったようです。前のクラスでは一週間に2回ほどテストがあったのに今のクラスはテストがない日がないほど毎日試験が続いています。事実、明日も2回のテストがあります。息が詰まるほどです。実はこの学期の初めには私が勉強の進度に合わせて頑張ってついて行ったので高得点が取れましたが、今は違います。学校が終わると凄く疲れるからちょっと休もうと思うようになります。そうすればどうなりますか。すべき勉強はしないで時間が過ぎてしまうようになります。その状況が続いて結局、勉強の進度についていけないようになってしまいました。

 その時私はこう思いました。状況がこんなになった以上、私のペースで行こう。しかし、今は私が考えておいたことも守れなかったのです。なので今年の夏まで日本語の天才と言われた私は今、テストの結果をもらう度に先生たちから「シムさん、もっと頑張ってください」と言われます。どうですか。おっしゃる先生も言われる私もお互いが気まずくなります。

 今日、私が皆さんに申し上げたいのは正にこれです。私たちが試験をしくじるのは試験の日を知らないからではなく、それにふさわしい努力をしなかったからです。つまり私たちがしておいた準備によってその結果も変わるようになることです。イエス様が私たちにおっしゃった誰も知らないその日とその時、それについて持っている情報が少しもないので不安になる方もいらっしゃるかもしれません。なぜならその日こそ終わりの日になるからです。しかしそれにも関わらず完全な準備になっていたら全然心配しなくても大丈夫です。その準備とは正に善を行うことでしょう。しかしそれは私たちの考えより易しくないです。なので私たちは善を行う機会があれば、その時にしても大丈夫だと思う時もあります。自分のペースによってしよう。自分が考えておいたことによって行おう。そうすれば私のように失敗することを皆さんはぜひ覚えてください。今でなければなりません。なぜならイエス様がおっしゃったその日、その時がすぐ明日にもなれるからです。それに加えて天国にふさわしい人にならなければなれません。

 こういう物語があります。

 ある人が死んで神様の前に立たされることになったと言います。神様がその人に「あなたが生きて来た間に善を行ったことがあるのか」と聞いたらその人が長く考えた末に「神様、私が小学校の頃、物乞いする人に百円あげたことがあります」と答えました。この百円のためその人は天国に行けると希望を持っていましたが、神様はこの百円くらいが天国にふさわしことかと悩んだと言います。神様も長く考えた末にその人に「私が百円返してあげる、地獄に向いて出発しなさい」とおっしゃったと言います。

このように、百円くらいの善ではできません。十分な準備、完璧な準備でなければなりません。十分な勉強の準備ができた人は試験に不安を感じません。不安は準備ができなかった人の感情です。それゆえ私たちは例え今日からでも完全な準備をして、その日とその時を迎えられればどうかと思います。