年間第32主日

聖書朗読箇所 マルコ12・38-44

[説教]

 

 今回は「律法学者に気をつけなさい」「賽銭箱に入れる様子」という二つの話です。どちらも中心にあるのは「やもめ」という言葉です。やもめという人達は社会的弱者の代表で、孤児、寄留者、やもめという3種類の人達が社会的弱者として手厚い保護が必要な人達と言われていました。律法の中でもこのような人達を大切にしなければならない、守らなければいけないと言われていました。自分で収入を得る手段がないから助けなければならないと言うことでしたが、現実はやもめの家を食い物にし、と言う、掟を教えたり守る立場の中心人物である律法学者がその様なことをしている現実があったようです。

 そんな社会の中でどのように過ごさなければならないのかを少し説明しています。そして、やもめという人はどういう人なのかと言うと、ここに書いてある通り、生活費を全部賽銭箱に入れる、それは何故かと言うと、自分で何かをする事が出来ないからなのです。神様により頼むしかないからあるものを全て捧げるのです。やもめの入れ方の方は「この人は、乏しい中から自分の持っている物を全て」「生活費を全部」と言う風に二重に持っているものを全て捧げたと言う有様が聖書には書かれています。
 私たちは「神様により頼むしかない」生活をしているわけではないでしょう。現実にこのように神様により頼むしかない人は、何も拠り所とする事が出来ないから逆に全てを捧げることが出来ると言う事だと思います。
 そのやもめと言う人を思いながら私たち自分自身の、そしてそうい言う人達に対して何が出来ているかと言うことを考えていきたいと思います。
 今日の聖書と典礼の最後に「貧しいやもめの黙想」が載っています。そこには、聖母マリアもやもめだったではないかと言うことが書かれています。イエスが自分の活動のために家を出て行った時にマリアはこれからどう生活して良いのかわからない状態だったのではないかと言われています。マリアがそんな中どんな風に生きたのか、そしてマリアは最後に十字架上のイエスを見送らなくてはならなかった、そう言うことを全て神様に捧げたマリアと言う人を黙想してくださいと言う話になっています。
 私たちは聖母マリアのことも思いながら、やもめに対する思い、そして神様に全てを委ねる生き方と言うのを考えていきたいと思います。