年間第24主日

福音朗読箇所 マルコ8・27-35

[説教]

 

 今回、イエス様がペトロに仰った「サタン、引き下がれ」と言う言葉を、新約聖書が書かれたギリシャ語でそのまま翻訳すると「サタン、私の後ろに行け」になります。ペトロがイエス様の前でその方を連れて行く事ではなく、むしろイエス様の後ろでその方に従って行かなければならないと言う意味です。しかし、少し気になることはイエス様がペトロにサタンと言う表現まで使ったのに、これを個人的に呼んで仰ったのではなくて、弟子たちが見ている中で叱ったと言う事です。

 そう言う意味で見ればこの言葉はペトロをはじめ、弟子たちと私たちにも当てはまります。つまりペトロのような考え方を持っている人なら誰でもサタンになると言う事です。

 それではどうするとイエス様に愛されている弟子が直ぐサタンと呼ばれるようになるのでしょうか。それは私たちがイエス様と一緒に立っている位置でその答えを探す事が出来ます。「サタン、私の後ろに行け」つまり私たちがイエス様の前に居る時、サタンになると言う事です。私たちはすでにイエス様が、洗礼者ヨハネやエリヤや預言者の中の一人ではなく、メシアだと言う事実を良く分かっています。それにもかかわらず私たちはたまにイエス様に「イエス様、こうしてください。ああしてください」と命令しながらイエス様の座に座っているように行動する時があります。初めはその方の後ろで「今から良く従って行くぞ」と考えていたのに、振り返って考えてみると「イエス様、どうして私が願った祈りを無視したのですか。今後私がして欲しい事に従ってついてきてください」と話しながらイエス様の前に行った時が少なくないのです。

 イエス様に従って行きながら、受け入れにくい事が出てくる度に、私たちも今日ペトロと同じ様子を見るかもしれません。その度に私たちが今どこに居るかを考えなければなりません。そして、もしイエス様の前に立っていれば直ぐにイエス様の後ろに行って、その方に従って行かなければなりません。それこそ私たちがサタンではなくて、愛される弟子になる方法だと言う事を忘れてはなりません。

 今日、イエス様とペトロの会話を通して、私たちもイエス様との関係にとって今、どの位置に立っているのかを振り返ればどうかと思います。