聖母の被昇天

聖書朗読箇所 ルカ1・39-56
[説教]
 私たちが知っている通り、イエスは人間の姿のまま天に上げられました。古代の教会は、イエスのようにマリアも人間の姿のまま天に上げられたと信じていました。
 しかし、マリアの被昇天は聖書の中には書いてありません。それは本当に古代の教会の信仰に基づく教えであったのです。

 教会の中で信仰の源は3つあります。最初は聖書、そして古代教会の伝統、今私達が捧げているミサは伝統です。そして最後は日常経験です。ルルドとファティマでのマリアの出現は信仰的な経験の実例なのです。ですから、被昇天の出来事が聖書の中に書いてなくても問題ありません。それは経験に基づく信仰として見られているからです。
 そして今日の福音は、マリアは自分の姉妹エリザベトを訪ねたことについて話しています。2人とも救いの歴史の中で大切な方です。エリザベトはイエスの来臨の為に実を整える洗礼者ヨハネの母であり、マリアはイエスの母です。
 今日の箇所のメッセージは二つあります。一つ目は家族的な絆の大切さです。マリアは遠いところから来てエリザベトを訪ねました。今は車、飛行機、電車などがありますが、その時代に旅に行くのは簡単な事ではななかったのです。お金のある人は馬に乗りましたが、一般の人々は歩き、あるいはラバに乗りました。ラバは遅くて、一般的に荷物を運ぶ為に遣わされた動物であったのです。ですから、ラバで遠い所まで行くのにとても時間が掛かりました。マリアとヨセフは一般の人としてラバに乗ったはずです。しかし、マリアはその旅の難しさを思わず、エリザベトの所まで行きました。家族的な絆、兄弟姉妹の絆を大切にしました。
 今はその家族的な絆はどうでしょうか。ある所でその家族的な絆が破られてしまいました。いろいろな原因があります。例えばお金や財産分けとか。そして、時々技術の発展も大きな影響を与えました。今、ある家族で全ての家族のメンバーが一緒に集まっても皆がスマホを見て、分かち合い、話し合いということをしなかったのです。目の前の人に気を配らず、しかし、遠くにいる人にスマホでコミュニケーションをとったのは本当に残念なことです。お金、財産、技術などは本当に大切ですが、お金、財産、技術などのために人間関係、兄弟姉妹の絆が浅くなったら、正しくないと思います。
  そして二つ目のメッセージは神様との繋がりです。今日の福音にはマリアの賛美歌が書いてあります。内容は別にして、その賛美歌を通して、マリアはご自分が神様に恵まれた事に気付き、感謝したことが示されています。私たちはどうでしょうか。そのような感謝の気持ちを持っていますか。生活の中で神様から色々な恵みを頂いたことに、感謝したことがありますか。ミサは感謝の一つのやり方です。ミサという言葉は感謝を意味するからです。それだけではなく、個人的の祈りは感謝のやり方です。しかし問題は多くの人は祈る時、願うだけで、感謝という事を忘れがちです。良い祈りは感謝と願い同時にするべきです。願いだけならば、十分ではありません。主の祈りにその二つのことが明らかに示されました。順番的に最初の部分は感謝の気持ち、次の部分は願い。ですから出来る限り私も祈る時、感謝の気持ちと願いを大切しないといけないと思います。
 被昇天はマリアは信仰に基づいて人間関係と神様との繋がりを大切にしたことで、報いとして天に上げられたと意味するのです。ですから、マリア様の模範に習い、従うなら、私たちもいつか天に入るという報いを受けるはずです。確かに神様との繋がり、そして人間と人間との繋がりを大切にするのは簡単ではありません。神様との繋がりは神様の姿が見ないうちに、祈りや礼拝などで行うために、簡単ですが、目の前にいる人との関係を作るのは簡単ではありません。考え方や性格などが違うからです。
 しかし、マリアは私たちに素晴らしい模範を示してくださいました。マリアはチャレンジがあっても、問題があっても諦めず、その二つの繋がりを大切にしました。私たちも普通の人間としてその二つの繋がりを守ることに失敗する可能性があるはずですが、諦めてはいけません。
 マリア様の模範に従うことができますように、今日のミサの中で力の源というご聖体を共にいただきましょう。アーメン。