年間第11主日

福音朗読箇所 マルコ4・26-34

[説教]

 

 この季節、あらゆる自然のものが成長し豊かに実る季節を迎えています。

 今日はひとりでに実を結ばせる「ひとりでに」という言葉があります。命のあるもの、草花、動物、勿論それらに人間が手助けすることはありますが、それらが育っていくというのは、ひとりでにという言葉の通りだと思います。

 聖書の中に、この「ひとりでに」という言葉が使われているところがあります。それは使徒言行録の中にペトロが捕らえられていて、その時に天使がペトロに出ていきなさいと鎖を外してペトロが出ていくときに最後の門が「ひとりでに」開いたという話が書かれています。そのように、ひとりでにというイメージは今の私たちには何となく自動ドアが開くというようなものかもしれません。今の世の中では手を出せば自動的に水がひとりでに出たりする技術的なものによって動いていると言う事がありますが、けれども、ひとりでにというのは、電気の力であるとか技術の力でそうなるのであって、そういうものとは違う自然の中のものや命の中のもののひとりでにというのは、確かに私たちがとても不思議に思うものであり、しかし、当たり前に思っているものでもあります。

 神の国はそういうものなのだと言う事を今日の福音は示しています。勿論種を蒔くという役割があり、そのあとお世話もしますが、実際にどうやって共に大きくなっていくのかというのは私たちには分かりません。しかし、それは分からないけれども信じてしっかりそれをやっているのが私たちです。私たちは勿論必要な小さなことやお世話もするでしょう。しかしそれを実現していくのは神様なのです。更にからし種のように本当に小さなものであってもそれを神様はとても大きなものにして下さるという事も言われています。実際にイエスが始められたことが、異邦人を含み、大きな共同体に繋がっていきました。つまり、弟子たちが行ってきた宣教という事も、基本的にそれを支えて下さり行って下さるのは神様なのです。ですから私たちもそれに委ねて、信じてしっかり行っていくことが必要なのです。

 現実に私たちは何を神の国のためにしていかなくてはならないのかと考える必要があると思います。けれども、神の国をしっかり育てるのは神様なのだと信じて、私たちに出来ることを捧げていくしかないと思います。

 人々の聞く力に応じて例えでみ言葉を語られたと書かれています。私たちもそれぞれ与えられた力に応じて出来ることして、あとは神様に委ねて神の国がどのように成長していくのかという事を信じて、任せていきましょう。