復活節第6主日

福音朗読箇所 ヨハネ 15・9-17

[説教]

 

 前回の福音はぶどうの木の例えでした。この例えで、イエスと自分の弟子たちの関係が素晴らしく説明されていました。イエスはぶどうの木、そして弟子たちはその枝と言われました。枝はぶどうの木に繋がっていなければ実を結ぶことが出来ない、弟子たちも同じで、イエスに繋がっていなければ実を結ぶことが出来ません。

 今回の福音の中で、実を結ぶという言葉の意味が書かれています。それは、愛についてです。実を結ぶという言葉は、愛が実現されるという意味です。

 そして、今日の箇所に「友」という言葉があります。一般的に生活の中で使っている言葉です。しかし、日本ではあまりFriendとBest Friendという違いがありません。英語では明らかです。Friendは普通の友達です。Best Friendは深い意味があります。Best Friendは何の秘密もないという友達です。イエスは弟子たちを友と言われたのは、イエスと弟子たちの中で秘密がないと言う意味であるのです。父から聞いたことをすべて弟子たちに知らせました。

 キーワードは「信頼」です。相手を信頼し、相手も私を信頼してくれる。秘密がなくて、深い繋がり、深い関係ということなのです。しかし、イエスがはっきり言ったのは、友になるために私の掟を行わなければならないと言われました。愛という掟を実現しないなら、私の友と呼ばない。

 その愛については、ヨハネ13章にも書いてあります。しかし、13章に父の役割が示されていません。今回の福音には、父が私を愛してくださった、その愛によって私もあなた方を愛します。だからあなた方もそのようにして下さい。私があなたを愛したように、あなた方も互いに愛しなさい、と書かれています。父の愛は根拠として見られたのです。

 皆さん、私たちの経験はどうでしょうか。今までは、自分の経験のよって神に愛されたことを感じることは出来ましたか。そうしたら、私たちはイエスが言ったとおり、その愛によって生活の中で互いに愛し合うことが出来ましたか。

 勿論、私たちは弟子たちのように、完璧な者ではありません。弟子だからと言って全てイエスの掟を行うこと出来るとは言えませんでした。彼らはイエスが彼らと共に居る時、本当にイエスが言われたことに従いましたが、イエスが捕まった時は、皆その信仰が無くなってしまいました。私たちもそのようではないでしょうか。

 愛の掟を行った事があるし、失敗した事もあるでしょう。ですから心配しないでください。神様は人間が完璧な者になることを望んでいません。皆が完璧な者になるなら、人間関係はどんな形になるか分かりません。しかし、私たちは完璧ではないために、互いに助け合い、愛し合うことが出来るのです。相互の人間関係の形が出来ました。

 そしてその他に、愛とは人と人の関係だけではなく、現在カトリック教会の中で環境・宇宙に対する愛が薦められています。地球温暖化により、私たちも環境、地球を守らなければならないのです。環境、宇宙は私たちに大きなことを準備してくださったように、私たちも環境、地球を守らなければなりません。

 ですから皆さん、精一杯愛の掟を守りましょう。出来ないことは全て神に任せましょう。