四旬節第4主日

3月14日 四旬節第4主日
福音朗読箇所 ヨハネ 3・14−21
[説教]

 先週3月11日に東日本大震災から10年目を迎えました。皆さん色んな思いで迎えられた事と思います。
 この10年の間に多くの人が被災地に行ったり、繋がりによって色々な関わりをしていることは確かな事です。この震災で亡くなられた方は戻っては来ません。しかし、東北で何もなければ多くの人の関わりもなくそれだけで終わっていたという現実もありますが、この震災によって色んな新しい活動が始まり、新しいことが興っている、繋がりにより多くの人が助けられたという事実もあると思うのです。
 神様は何故この様なことが起こったのかを答えることは出来ないけれど、起こったことに対して人々が繋がり様々なことが出来るという意味があることを確かに言われています。この事が私たちの信じていきたい事なのではないでしょうか。
 今回の福音は、ニコデモという人との対話から始まっています。ニコデモという人はファリサイ派の議員で、最高法院の議員であれば大変地位の高い人です。しかもユダヤ教の中でもイエスと敵対してイエスのことを認めない人の筈です。しかし、(今回の福音の中には書かれていませんが)夜、こっそりイエスに会いに行ったと言われています。イエスと対話し、イエスが語ることに興味を持って話してみたいと思っていた人が居たことは確かです。しかし、ヨハネ福音書が書いたこの時の対話は、ニコデモは分かっていないという書き方で進んでいきます。この福音を読んで気付かれると思いますが、会話が成り立っていません。モーセが荒れ野で蛇を上げたように人の子も上げられなければならない、と言った辺りで会話が終わり、あとは違う話が続いていきます。
 つまりニコデモの対話を通して、この福音書を書いた人達が自分達が伝えたかった宣教内容をここで挙げていると言われています。この箇所というのはヨハネ福音書の全ての要約になっていると言われているほどです。内容としては難しいのですが「信じるものが皆、人の子によって永遠の命を得るためである。神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」ここがヨハネ福音書が一番大切にいていた中心の事と言われています。他の福音書ではイエスが伝えたのは神の国だと言っていますが、ヨハネ福音書では「神の国」という言葉はそれほど出て来ません。その代わりに、「永遠の命」ということを強く言われています。
 モーセが荒れ野で蛇を皆に見せ、その掲げられた蛇を見た人は救われたという出来事がありました。それと同じように、十字架に架けられたイエスを見て、従うことによって命を得るのだ、しかもその命は永遠の命、特別な命であるということを伝えているのがこのヨハネ福音書です。
 イエスの生き方、十字架のイエスを見る訳ですから容易な生き方ではない筈です。
 この震災で被災された方々のように、何も悪いことをしていないのに何故このような事が起こるのかと言う現実があります。しかし、そこにどのような意味を見出すのかと言う事を、イエスの十字架を見て考えて欲しいと言っています。それを見ていく事によって光の方へ進んでいく事が出来る、それから目を逸らすと闇になるのだと言う事を言っています。そして光に向かって歩んでいくときに真理の方に向かって行く事が出来ると伝えています。
 私達も分からない事が多くあります。しかし、イエスの生き方の中にあるその思いを、分からない中で私達も大切にし、それを大事に生きていく時に光の方へ向かって歩み、真理に向かっていく事が出来るのではないでしょうか。
 私達の四旬節の準備の中で、この福音が選ばれています。神は世を愛されている。世を裁くためでは無く、永遠の命を得るために行ったと言う事を私達も大事にし、その思いをしっかりと受け止めて生きて行きたいと思います。