四旬節第2主日

2月28日 四旬節第2主日
福音朗読箇所 マルコ 9・2−10
[説教]

 今回の福音は「変容」と言う、弟子達にとって1つの大きな出来事について書かれています。それをどのように考えて行くのか私たちも考える必要があるのではないでしょうか。
 変容の出来事は、聖書のイエスの話の中で後半の部分に書かれています。前半はイエスが様々な癒しを行ったり、様々な教えを説いたりしたという活躍した話が出てきます。後半になると受難予告があったり宣教活動が危機に陥っていくような状況の話が出てきます。その後半部分にこの変容の話が出てきます。このマルコの9章の少し前に、イエスが弟子達に向かって「あなたは私のこと何者だというのか」と訊ねる場面があります。その時、弟子達の中でペトロだけが「あなたは生ける神の子メシアです」とはっきり答えています。ここで人間の口によって初めて神の子でありメシアであると言われたのです。
 しかし残念ながらその後に1度目の受難予告があり、その中でイエスは自分はこれから苦しみを受け、受難を受けてその後復活するのだと話されると、ペトロは「そのようなことがあってはなりません」とイエスを諌め始めますが、逆にイエスに「サタンよ、退け」と怒られてしまいます。それが1度目の受難予告です。
 そして2度目の受難予告の間に「変容」の出来事が起こります。つまり、弟子達は分かっているようで分かっていない、その中でこの変容の姿を垣間見せていると言うことを大切にしたいと思います。「変容」と言う姿を見せて、弟子達もその素晴らしい出来事に驚きます。しかし分かっていなかったと言うことは確かです。
 ところで、今日の第1朗読(創世記22・1−2、9a、10−13、15−18)で、アブラハムがイサクを捧げ物として殺そうとしますが、その時に声がして、その後辺りを見回してみると生け贄として捧げる羊が見つかったと書かれています。今回の福音の変容の時にも声がして、弟子達は辺りを見回して、何があったのかと言うと、イエスだけが彼らと一緒にいたと書かれて居ます。生贄の羊が居たことと、イエスだけが残られて居た、つまり、栄光に向かうためには、この生け贄と捧げるイエスがあるのだと言うことを改めて示そうとしたのではないでしょうか。
 栄光の姿だけを見るのはなく、そこへ向かうためには神の言葉を受け入れ、それに従って最後まで歩んだイエスの姿を、私たちは大事にしなければならないのではないでしょうか。
 今日、私たちは大事な物や、色んな出来事があったりしますが、その後、辺りを見回して見て、本当に必要なものは何なのかを考え、大切にして行きましょう。