年間第4主日

1月31日 年間第4主日
福音朗読箇所 マルコ 1・21−28
[説教]
律法学者
 皆さん、イエスの時代の人々にとって、律法学者は会堂の教師であり、律法の戒めを解釈する役割を果たしていました。イスラエルの歴史の中で、ある期間イスラエルの民の中心的存在であったエルサレムの神殿が崩壊し、人々がバビロニアへ捕囚されたので、律法の戒めが生活の基盤となっていきました。
 しかし、人々は文字も読めず、律法の戒めも理解出来なかったので、人々に律法を読んで聞かせ、またその意味を分かり易く説明する律法学者が必要となりました。
 バビロニアの捕囚からの帰還の記事は、エズラ記で伝えられていますが、 エズラはモーセの律法に詳しい書記官といて民衆の指導者となりました。この「書記官」が聖書で伝えている最初の律法学者です。
 次は、教えと行いについてです。
 皆さん、イエスと律法学者との違いはどこにあるのでしょうか。律法学者はユダヤ教の言い伝えに従い、律法を解釈していました。イエスは言い伝えに捉われないで、一人一人の人間を大切にするためにはどうしたら良いかを教え、また教えるだけでなく、自ら行いによって人々に模範を示しました。キリスト教の歴史においても教義が作られ、それが固定した教えとして守られていました。しかし、それでは現実の生活とはかけ離れた信仰となって行きました。
 第二バチカン公会議はこうした現実を素直に認め、教会が人間の現実に応えられる信仰を持つ事が出来る様に探し始めました。
 以前に公教要理を学んできた人にとっては、何か不安な気持ちを起こさせる事かもしれませんが、イエスの時代の律法学者のような態度を持たないよう反省する必要があるのです。
 言い伝えが間違っていたと言うのではなく、言い伝えに拘るあまり、人間の現実に対応した行いが出来ない事が問題なのです。