年間第3主日 神のことばの主日

1月24日 年間第3主日 (神のことばの主日)
福音朗読箇所 マルコ 1・14−20
[説教]

 

今日の福音は「ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝えて『時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい』」という言葉で始まっています。この前の1章の最初は洗礼者ヨハネが現れたという話があり、その後にイエスに洗礼を授けたという話、荒れ野での誘惑があったという話があります。それに続く話なのですが、ここまでイエスは一言も話しておられないのです。この「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」という言葉がイエスの発した第一声なのです。

 つまりこのイエスの言葉は、福音書全体の中で、神の国の福音の喜びがありますよとしっかりと伝える事がマルコ福音書全ての要約になっているということを示そうとしています。この「神の国」をイエスが福音として伝えたと言う事をしっかり聞いて欲しいとまず最初に示しているのです。
 そして、イエスがその後にすぐされたのは何かと言うと、弟子たちを集める事でした。つまり、イエスは自分がこの後どうなるかを知っておられたので、自分一人ではなく、この後のことを誰かにしっかりと伝えていき、人を通して自分の教え、福音が伝わって行くようにと、まずは弟子たちを探して自分と一緒に生活をしながら見せる必要があると言う事で弟子たちを選んでいきます。
 私達も今、弟子の一人として歩んでいるのですが、この様に弟子たちを呼ぶと言うことを最初に持ってきているのはとても大切なことではないかと思います。そして、マルコの描く召し出しにはパターンがあります。今回の福音の中で、イエスの呼び掛けに3つのことが書かれています。それに対して人間の応えは2つです。
 まず、イエスの呼びかけには「行動」があります。「イエスがガリラヤのほとりを歩いておられた時」と言う「動き」(イエスが何かをされている時)。その時に「シモンとシモンの兄弟アンデレが湖で網を打っているのをご覧になった」と言う「見る」。その次に「私について来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言う「呼び掛け」。まずこれが神の最初の呼び掛けの、マルコが語る基本的なパターンです。「動き」があって次に「見」て、その後に「呼び掛け」られる、これが召し出しの大きな3つのパターンなのです。
 それに対して、人の応えは何かと言うと、「二人はすぐに網を捨てて」とまず行動してそして「従った」、これが人の動きなのです。ゼベダイの子ヤコブとヨハネも「この二人も父ゼベダイを雇い人たちと一緒に舟に残して、イエスの後について行った」と言う、「行動」して「従う」のが人間の応えなのです。
 このように人間の応えを大切にしようと思うなら、この二人は凄いことが分かります。まず「すぐに網を捨てて従って」います。呼び掛けに対して私達は「すぐ」に応えられるでしょうか。そして「網を捨てる」と言うのは、その人の大切な仕事、大事なものを捨てると言うことです。「すぐに網を捨てて従う」と言うのは人間として大変な応えをしているというのを見ることが出来ます。ヤコブとヨハネも父と雇い人を舟に残して従っています。父親を捨てて舟を含め自分の財産をその場に残してイエスに従っています。これは本当に大変なことです。この人間の応えを大事にして見ると、このそれぞれの二人の凄さと言うのが分かるのではないでしょうか。これはマルコが弟子たちの理想像として書いたのかもしれません。
 人間の応えがそこまで大事だと見るのと同時に、やはり何よりも神様からの呼び掛けを大事に考えるべきではないでしょうか。
 神様のなさり方はほんの些細な動きの中にあります。そして私達をご覧になられるのです。それは私達も自分が神様に見られていると感じた時に、見られると言うことが大きな意味を持ってくると思います。
 私達はこの見られると言う体験と何かしらの呼び掛けに対して、どの様に応えて行くかを大切にする必要があると思います。先週の福音はヨハネ福音書でしたが、そこにもイエスの呼びかけがあり、「来なさい、そうすれば分かる」というものでした。呼びかけられたと感じたとき、とにかく行動しなければ分からないということかもしれません。
 そして今日は「神の言葉の主日」でもあります。様々な方法で語られている神様の言葉、または聖書のみ言葉の中で「これがもしかしたら自分に対する呼び掛けなのではないか」と思うものがあれば、大切にしてくださればと思います。私達は神様の呼び掛けに都合の良い時にしか応えない事がありがちです。呼び掛けられたときに行かないと分からない事があります。 
 皆さん、どうか普段接するみ言葉や今日の福音の中からでも良いので、もしみ言葉から自分が呼びかけられているのではないかと感じたときには、応えて行きたいと思います。そして応えて行った時に分かるものがあるはずです。
 神の言葉の主日に、神のみ言葉を大事にし、そこから大切なものを受ける事ができる様に祈りましょう。